濃縮還元summer

梅雨はとうに明けたが、強い日差しと熱帯夜の波に晒されている。

 

お盆。ダレた心と未熟なやるせなさを持て余し、鴨川沿いを亡霊の如く彷徨していた。

太陽を照り返し、いのちを漲らせる草木が眩しい。白く輝く雲は体積を増し、壮大な王国を作り上げている。

犬の散歩やランニングをする人、日焼けした青年に、川で遊ぶ子供たち。

蝉の声は折り重なって、夏らしい景色を繋ぎあわせる。

そう、なんというか強すぎるのだ。

色んなものが主張しあって、暑さの中に飽和することで夏が出来上がっている。そこに一種の調和が生まれているのか、どこを掬い取っても夏に満ちあふれ、川面のきらめきやジリジリ焼かれるような感覚が訴えかけてくる。この熱に冒されて、BBQや海水浴をしたくなる気持ちは分からなくもないが、浮かれまわるほど素直になれない。

自分を解放して、大きくなった精神でいるのは楽で愉快だ。心の片隅に孤独や寂しさを抱えていて、他者とつながりたいという欲求も自然なものだと思う。けれど、人と人とが同調するのはけして簡単ではなくて、無理に意気投合したふりをするのはどうも性に合わない。

ねじけているだろうか。

そこら中に生えたエノコログサセイタカアワダチソウも呆れ果てている。

 

つまらないので、鴨川に浸かることにした。一度、アタマを冷やしたらよい。

裸足になって足をいれてみる。

思ったよりも川の水は冷えていて、流れも速い。

川底の石は少しぬめっている。足をとられそうになりながらも、深い場所を探す。

腰をおろし、身体を浮かべてみた。

雑多な音は消え、静けさのなかで流れに身を任せる。

石の間を流れていく水の音を横目に、橋越しのまばゆい夏空がみえる。

じつに心地よい。

このままずっと、たゆたっていられないだろうか。

ふと川辺に目をやると、犬が羨むようにこちらを見つめている。

入りたいなら入れば良いのに、暫くするとふいと飼い主の方へ戻っていった。

冷えた身体のまま、岸へあがり、陽を浴びる。

みると、小さなヤゴが付着していた。手のひらにとり、岩にかえす。 

 

服も乾いてきた。

自転車にまたがり、赴くままにペダルを回す。にわかに、灰色の厚い雲が立ちこめ、夕立ちが降り始めた。雨粒が激しく打ちつける。なんとか屋根を探し、雨宿り。過ぎ去るまではしばらくかかりそうだ。バッグに入っていた本を開き、止むのを待つ。ほどもなく、雨はあがった。この時期は通り雨が多い。新聞のコラムで読んだが、今日は”二百十日”といって、台風が訪れる日とされているらしい。嵐を鎮めるべく、「風祭」と呼ばれる祭礼が各地の風習として残っているそうだ。一方で、稲穂がひらき、秋の予兆を感じる節目でもある。

気がつくと、日が暮れはじめている。

夕暮れの変化は一瞬だ。街が琥珀色に染まり、道行く人も街路樹も車も家も輝いている。漂う雲は多彩な表情を見せ、別世界が広がっている。すぐさま色は移り変わり、優しい紅色が全てを包み込む。めくるめく夕陽の世界を目で追っていると、やわらかな色はどんどん激しく、燃えるような赤へと変貌してゆく。太陽は断末魔をあげ、夜の藍色に呑み込まれる。

仄明るい西の空。

太陽が消えた方角には嵐山が位置している。桂川が流れる渡月橋一帯は、紅葉や桜の名所として名高い。今は比較的観光客が少ないため、ちょっとした風情も感じられる。

この季節、嵐山では鵜飼見物が催されており、屋形船から漁の有様を見ることができる。

 

昏い水面に浮かべられた小さな船には、鵜の意匠が施された提灯がいくつも掲げられている。船内には茣蓙が敷かれており、十人ほどを載せると、船頭が声をかける。棹をさして、船はゆっくりと漕ぎいだした。

川沿いの灯りが遠く、ゆらめきながら映りこんでいる。どうやら船はひとつではないらしく、他の船着き場から来た船に合流し、数珠つなぎになる。

この船は最後尾だ。

隊列をなし一列になった船の横を、鵜舟が通るらしい。

川上は吸い込まれるように暗く、この列がどこまで続くのか分からない。目を凝らすと、遠くにちらちらと火影が見える。いよいよ、鵜舟にかがり火が焚かれたようだ。

次第にその影は大きくなり、二艘の鵜舟がやってくる。船頭の話によると、鳥目である鵜は夜目がきかず、篝火は鵜の視力を補うために灯されているらしい。パチパチと炎の弾ける音とともに、風にのって火の粉が舞いあがる。ときおり、薪がくべられると、吊された炎は大きくなり、ゆらゆらと揺れる。どこか幻想的で懐かしい。人類の歴史に火は欠かせないものであり、信仰や文化の源となってきた。篝火をみつめていると、共鳴するものがあり、日々の感情の隙間を埋めてくれるような、何か満たされて心が奪われるような、不思議な感覚に陥る。

「みえんか、みえんか」「おらんか、おらんか」

鵜匠の声かけで鵜は潜るが、なかなか獲物を捉えられない。

有名なのは鮎だが、食べるものは何でも捕るため、オタマジャクシやナマズを呑むこともあるそうだ。

「とった!」

一匹が何か捕まえたらしい。鵜匠が縄を手繰り寄せ、その鵜を舟にあげる。

さあここからが本番。絶妙な手つきで鵜に魚を吐かせる。

ややあって、鵜の口から一匹の魚が飛び出した。

歓声があがり、拍手がおこる。

一瞬でよく見えなかったが、飛び出す様は面白い。その後も何度か吐き出すところがみられたので、満足である。漁を終え、鵜は舳先に整列する。ご苦労であった。そのまま鵜舟は川へ消えて、見えなくなった。

 

余韻に浸る帰り際、渡月橋から花火が上がった。

小さな花火だが、夏らしくて素敵だ。

特別な夏。

桟橋をあがって、階段をのぼる。

受付の梁の下に、大量の蜉蝣が群れていた。

 

夏が終わってゆく。