雨おどる
こうも雨つづきだと嫌になるね。
梅雨の時期になるとこんな言葉を聞くことが多い。
ジメジメして、洗濯物も乾かないし、外出したら濡れねずみ。日照時間の少ない土地では、鬱になりやすいとも言うから、晴れの方が心地よいのは明らかだろう。
ここ最近は各地で豪雨による水害が起こり、既に大きな被害も出ている。天災は非情である。どれほど科学・技術が発展しようとも、人間は災害から逃れることはできない。
傷が癒えるまでには時間がかかる。時間をかけて、人とのつながりや生活を見つめ直し、少しづつ営みを取り戻していく。
幸運にも、僕の生活圏は今のところ脅かされていない。
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雨。
あめ。
アメ。
Ame。
梅雨に降る雨は、さらさら静かに降り始める。雨に音が消えていくかと思うと、どこか遠くから聞こえてくる音もある。不思議なものだ。
やがて、ぱらぱらと粒だって、そこら中で小さな雨粒の弾ける音に変わる。しばらくすると、雨は屋根にあふれ、樋を伝ってぽたぽたと滴り、水たまりや用水路に流れる水の音が聴こえてくる。古くは、「にわたずみ」という言葉もあったらしい。
傘をさして町へ出ると、雨はあらゆるものを打ち鳴らしている。
それらの音に、靴やタイヤから跳ねるしぶきの音も加わると、だんだん大きなうねりになって、真っ白なノイズにつつまれる。
次第に、雨粒は肥大し始め、重く、激しく、辺りを叩く。
我々は大きなビートと波に濡れ、煙り立つ道を進むほかない。
やむを得ず、雨宿り。
露を払い、己をみればすっかり水びたしだ。
この隙にどうにか乾かないものか、と思案しているうち、雨足が和らいできた。
ふたたび傘をとり、歩きだす。
ふと、雨に濡れたヒルガオが目にとまった。晴れている時よりも風情があり、どこか寂しげで可愛らしい。
雨が降ると、たくさんの生命が湧き、いきいきと輝く。
草木は茂り、虫は這い出し、蛙は歌う。
母なる海を思い出すのだろうか。
雨上がりの匂いも好きだ。
土や草から独特な香りが漂い、人間以外にも様々ないのちがあることを実感できる。
そうやって、雨は、すべての生き物たちと交流する。
梅雨の季節こそ、ヒトは野生を思い出し、純粋に、素朴に、自然を受け入れられたら楽しいだろう。
つらつら考えていると、雨音がしずまっている。
雲を分け、晴れ間が広がってきたようだ。